【コラム】今どき社員の育て方~シンクロ・井村雅代コーチの今どき選手育成奮闘記から学ぶ~

 

 

 

 

 

かつては「地獄の指導術」

中国でのコーチをつとめる前、かつては鬼のコーチとして知られた井村雅代コーチの指導法は、正に「地獄の指導術」そのものだった。何人ものオリンピックチームを率い、その選手たちが同様に口にしていた言葉は、皆共通していたようだ。最も有名だと思われるのは、「限界は自分で決めているもの」という言葉だろう。

例えば、練習での妥協を一切許さない場面として、「ラスト1回」と言われた練習が、熱心な指導のあまり、延々と10回も続き、目標タイムが達成できなければ延々と泳がされることもあったのだ。

井村氏は、技術以外の面でも厳しく、本番でいい成果をあげ、歓喜をあげようものなら「負けた相手への思いやりが何もない!」と厳しく叱責される。また「調子乗ってるじゃないの!」とちょっとした気の緩みは、都度都度戒められる。しかし井村氏は、練習にはとことん選手に付き合い、「私はプールサイドで死ねたら本望や」と話したものだ。

まさに井村氏の気概と執念は強烈なものがあった。

 

日本代表コーチ復帰しての驚き

井村コーチが、中国はじめ海外でコーチをつとめている間に、日本の選手層が大きく様変わりしていた。通称「ゆとり世代」の年代層が主要な選手層に変わっていたのだった。この世代の特徴は、「競争意識がないこと」である。「みんなで仲良く」、「自分だけ成功するのは嫌」というような共通意識が強いのだ。

大会が行われる際にも、競争原理が働かないために、メダルが獲得できなくても、「みんな頑張ったよね。よかったよね。」とお互いが慰め合い、満足してしまう姿を見せていたのである。これには井村コーチは愕然とした。

またきつい練習中も、お互いが仲良くなってしまい、真剣に極限を追求しようとしない。つまり、本気さがないのであった。

実際、大会が行われる本番直前でも、いつものようにみんなでおしゃべりをして、楽しさを重視し、勝負の場面に真向かおうとしないのであった。そして「自分たちは自立したい」と主張し、コーチの指導を積極的に仰がず、自分を追い込むことなどはしない。

しかしゆとり教育の弊害なのか、自身が設定する目標だけは立派なものを掲げるという、ギャップが凄い状態であった。これに驚いた井村コーチは、「メンタルのトレーニング」を取り入れたのだった。

それは、「競争心」を植えつけること・・・

 

他国のチームと競っても選手同士は競わせない

このメンタルトレーニングにより、他国のチームとの競争心を強化させた井村コーチであったが、チーム内の選手同士は、あえて競わせない選手選定を決めた。

例えば、東京オリンピックの代表内定選手はチームの出場選手数と同じ8人。1人でも欠ければ練習に影響が出るが、あえて8人ぎりぎりの人数で練習しているという。

「昔なら10人選べば、選手たちは『私が代表の8人の中に入るんだ』と他の選手に先んじようとしたが、今の子は競い合うのが苦手。私が落ちるんじゃないだろうかと(心配して精神的に)余計なエネルギーを使わせてしまう」と心理状態を分析。「実に面白くない若者。今の日本の若者の弱さ」としながらも、「あなたでいくから覚悟を決めてくださいとしたほうが力を発揮できる、絶対に強くなる」と判断したという。「私にしたらすごく優しい方法。でも強くなるなら何でもしてやろうと思った」と、この指導方法を選んだ理由を語る。しかし、条件も出した。「(選ばれた日から)病気もけがもする権利も資格もありません」。

 

指導中に発する言葉も変わってきた

プールサイドから関西弁で大きな声で指示を出すため、迫力があり、「厳しい」と思われがちだが、その指導は論理的。選手には演技の映像を見せながら、手の角度などを具体的に指示する。

選手が演技を間違えたり、狙い通りにできたりしていないと「うそばっかり、うそばっかり」と早口で連呼する。「違う!」と大声で言うときもあるが、怒りの感情をぶつけるように「違うだろ!」などと絶叫したりはしない。頭ごなしの威圧感はなく、選手も委縮していない。「ここが違いますか」などとわからない点は聞き返し、確認していた。

しかし、それだけでは終わらない。重点強化する必要がある選手一人を捕まえて、毎日、朝5時半から技術を教えているのだ。そうすることで少しずつその選手も自信を持ってきたのである。

井村コーチも選手に合わせての早朝練習の日々が続く。

この今どき選手の育成法。

今どき部下の育て方にも通ずるものが多々あるのではないだろうか。

株式会社エルシーアール 専務取締役 荒井 浩通